リノベる以前に起こした2つの会社のこと ―代表が語る創業ヒストリー(3)

2017.03.30
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リノベる以前に起こした2つの会社のこと ―代表が語る創業ヒストリー(3)

古い空間を作り変える。その魅力にとりつかれ、関西の有名な店舗デザイン会社『東西新風堂』の門を叩いた僕は、約2年半の修行期間を経て、独立の一歩を踏み出します。「フィールド」という屋号で大阪に事務所を開いたのが、2002年11月11日でした。

▼これまでのお話は…

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2002年11月11日、個人事務所「フィールド」設立。

独り立ちした日のことは、今でもたまに思い出します。僕のラッキーナンバー「11」にちなんで、2002年11月11日に、「フィールド」という屋号で、店舗デザイン・住宅デザインの個人事務所を開きました。

最初の仕事は、文字通り、事務所を“作る”こと。形から入るタイプの僕にとってはすごく大事な一歩です。といっても、当時住んでいたワンルームマンションの一部をセルフリノベしただけ。杉の足場板をプレーナーかけて床に敷いて、同じ杉を3枚はいで作ったカウンターを設置。そこに友達から借りていたPower Mac G3と、EPSONのプリンターを置いて、出来上がりです。

ちなみに、そのマンションは当時付き合っていた彼女の家(僕が勝手に転がり込んだ)。無断でリノベしてしまったので、後でめちゃくちゃ怒られました(笑)。

野望はあるが、プランもなければ仕事もない。

さあ、事務所ができたら次は何か。そう、名刺のデザインです(笑)。借りもののMacで何やかんやと作り上げ、ここまでは予定どおり。

問題はここから。この先の計画がなにもないんですね。というより、当面の仕事のあてもないわけです。これはまずいぞと、ラグビー時代の先輩・友達を中心に電話をかけまくりました。「起業したんだけど、何か仕事ないっすか?」と、いま思い返しても雑な営業です。

それでも、ありがたいことに、いくつかの仕事を任せてもらうことができました。初めての案件は、ラグビーの大先輩が経営されている、和菓子屋さんの店舗デザイン・施工です。それから、大学時代のアルバイト先の友人から、自宅のリノベーション設計・施工の依頼。どちらも、デザインから工事まで、僕が一人でやりました。

そこから少しずつ仕事がつながり、奇跡的に事業は軌道に乗り始めました。あの自宅兼事務所のセルフリノベが唯一の実績だったことを思うと、奇跡としか言いようがない。当時、仕事をくださった方々には感謝の言葉もありません。

個人事務所から、会社へ。

それから2年ほどは、ワンルームの自宅件事務所でずっと一人で仕事をしていたのですが、徐々に一人では手が回らなくなることも出てきて、スタッフの採用を考え始めました。こうなると、もはや個人事務所という形ではおさまりが良くなくなってきます。そこで僕はこのタイミングで、個人事業を法人化することにしました。社名は、株式会社es(エス)。2004年のことです。

ほどなくして、一本の連絡が入ります。「山下、おまえ独立したらしいな」と。飲食の事業をはじめたという、ラグビー時代の先輩からでした。「どうせ、おまえのことだから起業といっても何も考えてないんだろう。おれが手伝ってやるから、お前もおれの仕事を手伝え」。

その申し出をきっかけに、お互いの株式を持ち合う形で、先輩の飲食事業、店舗設計のesという両輪で、会社を動かしていくことに。夜は飲食の仕入れ、昼はデザインの仕事というスタイルを2年ほどつづけました。当時のesは、オープンデスクで来ていた子が5人くらい。先輩の言うとおり、会社経営のことを分かったつもりでまったく分かっていなかった僕は、経理面を見てもらったりと、先輩によりかかる形で会社をまわしていました。

結局、その先輩とはケンカ別れをして、店舗・住宅デザインの株式会社es、これ一本に絞って再始動することになります。先輩の会社からうちに移って着いてきてくれたメンバーも何人かいて、大阪の北堀江にビルを借りて。それがまた僕のターニングポイントになったような気がしています。

MY MISSION / MY CREDOで、自分のやるべきことを再認識。

というのも、この時期に、「MY CREDO」と題した自分のための“11ヶ条の約束事”を作り、小さなカードにしたためているんです。このカードは今も財布に入れて常に持ち歩いています。

10年以上たったので、さすがにボロボロになってきました。


当時の僕は、先輩と離れ、初めて自分に足りてない部分が見えてきた頃でした。経営ということについてもそうですが、それ以上に、「コミットする」ということを覚えたのがその頃だったと思います。

先輩と揉めたりした経験もあって、「チームを作る」ということ、そのために「思いを伝える」ということの必要性を痛感したんです。そしてまずは、自分自身のミッションと行動指針を決める必要があると考えました。自分は何のためにここにいるのか。何のために毎日、会社に来ているのか。

僕の出した答えが次の言葉です。

『夢を現実にしようとする人を全力でサポートし、その人を幸せにする。
その結果、それに関わる人たちのすべてが、自分の暮らしや仕事を心から楽しめて、かっこいい大人になっていく』

「多くの人に影響を与えることをしたい」と、これまでぼんやり考えていたことを、初めて自分なりの言葉に落とし込んだ瞬間でした。

そして同時期に、ブログも始めています。「堀江で一番になる!株式会社es社長 山下智弘の熱情。」というブログです。何かを書いたり言葉にすることはまったく得意ではなかったんですが、人に影響を与えるためには、自分で決めたことを書いて言葉にし、誰もが見える形で共有していくことが大切なんだと思い始めたのが、ちょうどその頃だったなと思います。

多くの人に影響を与える“強い点”を1つつくる。

新生esとして動き始めたとき、ひとつ決めたことがありました。それは、1から10まで、すべて自分たちでつくるということ。衣食住、すべて作りますというのがesのコンセプトでした。

ですので、esのオフィスビルでは、店舗・住宅のデザインのフロアもあれば、1Fでレストランも運営。2Fには工房も設置し、『+warm』という家具ブランドをつくって、屋上の店舗で実際に販売もしていました。のちに、自分たちで農場を持ち、そこで野菜を作ったりもしています。自分たちが収穫した野菜を、自分たちのレストランで食材として使うのです。

ビジネスとしては未成熟な、“家内制手工業”的な考え方。ですが、この「暮らしのことをすべてつくる」という強いビジョンが、いままでにないライフスタイルのあり方を世の中に広めていくためには必要だと、当時の僕は感じていました。

そして実際、そのビジョンのもとに集まってくれたさまざまな人との出会いが、僕に「リノベる」への展開のきっかけをつくってくれました。なかでも大きかったのが、後にesのすべてを任せることになる、現リノベるCQO(Chief Quality Officer)である西郷との出会い。そしてもう一人、いま大阪を中心に活動しているリノベーション会社「9(ナイン)」代表の、久田カズオさんです。

当時から大阪の店舗デザインの世界で一目置かれていた久田さん。僕にとっても憧れの存在で、自分の会社のメンバーに「久田さんのところみたいなWEBサイトを作ってくれ」と頼んでいたくらいです。

その久田さんが、とあるきっかけで、自分の会社ごとesに合流するという流れに。その話が決まった瞬間、自分ではあまり覚えていないのですが、僕はあまりの興奮に嗚咽を出しながら喜んでいたらしいです(笑)。

そして、「リノベる。」へ。

久田さんは住宅に対する熱意も本当に強く、彼との出会いで、僕の住宅への思いはさらにかきたてられました。「リノベーション」という言葉を教わったのも久田さん。彼とのコミュニケーションの中で生まれてきたのが、「リノベーションのセレクトショップ」の構想です。

アパレルの世界も、以前は上から下までデザイナーに作ってもらうか、あるいは量販店で買うかの2択の時代を経て、そのどちらでもない「セレクトショップ」という業態が生まれてきました。住宅業界も、かつてのアパレルと同じなのではないか。オーダーメイドだけでは多くの人の手には届かず、“吊るしのスーツ”だけでもダメで、その“真ん中”にあるサービスをつくるべきなんじゃないか……。

esで目指した“強い点”を、世の中により広めていくにはどうすればいいか。軌道に乗っていたesをメンバーに任せ、僕は新しい事業の構想を練り始めました。2009年のことです。

es時代の集合写真。左から2人目が山下。

 

(次回につづく)

 

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